脱サラする前に読む記事「脱サラゲームクリエイター コンじゃぶろーの自立への挑戦記(2022年-2023年)」

脱サラする前に読む記事「脱サラゲームクリエイター コンじゃぶろーの自立への挑戦記(2022年-2023年)」 さしあたり、いま思う事
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2023年の確定申告を済ませました。1月に法人の確定申告(青色)を片付けて、2月の中旬に個人事業主の確定申告を終わらせました。

波乱の2022年から一転、2023年は大きく飛躍した年となりました。

2024年に入ってもその勢いは益々高まってきてますが、今のうちに近況報告しておきたいと思います。

コンじゃぶろー
コンじゃぶろー

こんにちは!コンじゃぶろーです!

僕がまず伝えたいことは、脱サラしてよかったということです。

子供よりも早く出社し、日付を跨いでから帰宅する日々。土曜日は完全にぶっ倒れる生活。そんな生活が、毎日家族3人で3時のおやつを食べる生活になりました。

さらに、仕事も収入も安定してきて、毎日オリジナルゲームの開発もできるようになってきました。

足軽横スクロールアクションゲーム『Hey!足軽』

しかし、2022年の年収は、とてもひどいものでした(かなりの赤字、防衛資金が底をつきかけた)が、2023年は一転してお仕事が順調にいただけるようになりました。大きく変わったのは、ブログ経由でお仕事をいただけるようになったことです。

今は、失ってしまった防衛資金を貯めるべく家計管理を強化しています。また、稼ぐ力にも力を入れて、これまでにない仕事を積極的に対応しています。

2023年に、どのような経緯でブログでお仕事をもらえるようになったのか、これから脱サラを考えている人に向けて、参考になるように内容をまとめたいと思います。

↓2021年から2022年度(脱サラ直後)の悲惨な状況まとめはこちらです。

脱サラ 起業 失敗談!脱サラゲームクリエイター コンじゃぶろーの自立への挑戦記(2021年-2022年)

脱サラ1年目、2022年の転期

脱サラ1年目、2022年の転期

元々、家族とは、2022年の10月末までという約束で、脱サラしました。

防衛資金も2年分ありましたし、約束の期間は1年と半年だったので十分だろうと思ってたんです。ただ、その約束の10月末の段階で、月収は5万円程度だったと思います。もちろんフリーランスとして、まとまったお金をいただけた月もありますが、1年で割ると大体1月5万円くらいでした。

それで、約束の期間が終わり、企業に就職しようといくつかエージェント登録して書類審査に応募するんですけど、片っ端から落ちてしまうんです。11月は、かなり焦っていました。

苦しい時ほど、人に会う

苦しい時ほど、人に会う

そんな苦しい時期にやっていた事は、人に会う事でした。

毎月やっていたオンラインサロンのオフ会も数を増やして、参加するイベントも増やしました。ゲーミフィケーションのイベントや、地方のイベント等、とにかくいろんな人に会うことに時間やお金を使いました。

明るく振る舞っていましたが、困っているオーラが出ていたんでしょう。

相談に乗ってくれる人が何人もいて、今の状況を素直に相談したんです。それで、自分の方向性が間違っていることに気づくことができました。脱サラした直後は、個人から仕事をもらおうと必死になっていたんですけど、企業から仕事をもらった方が良いと助言していただいたんです。

20年近くゲームを開発したり、品質管理の仕事をしていたんですから、当然その経験や知識を使うべきだったんですけど、その時まで全く考えつきませんでした。

ブログの添削で大きく変わる

ブログの添削で大きく変わる

それから、企業の方に会えるイベントにも顔を出して名刺交換会や交流会に参加するようになりました。大阪市が支援しているクリエイター団体の所長さんと再会したこともあり、頻繁にさまざまなクリエイターさんや、経営者の方と会う機会が増えました。

そして、人生の転換点が訪れることになります。名刺交換会の後の飲み会の席で、恩人となる方にお会いしました。その方は、SNSやホームページを使ったマーケティングやコンサルをされている方で、たまたま席が隣になって意気投合したので、その場の勢いで、僕のブログを添削していただいたんです。今、思えばとてもあつかましいお願いではありましたが、快く引き受けていただけました。

そうして、お酒の席ではありましたが、15分ほどよくない点や、改善すべき点を教えていただきました。ベロンベロンに酔っ払っていたんですけど、ものすごく胸に刺さったんです。

その夜帰ってからすぐ「企業様向けのページ」を作りました。

翌日、東京の会社から仕様書作成の依頼を受けました。それから、ブログの問い合わせ画面から、仕事の依頼が来るようになりました。今では、収入の大半をブログ経由からのお仕事で賄っています。もし、あの夜がなかったらと思うと、ゾッとします。

企業様向け

脱サラ2年目、2023年の試練

脱サラ2年目、2023年の試練

2022年の年末から急激にいろんな仕事のお話をいただくようになりました。その中で、自分のやりたい仕事というものにフォーカスできるようになってきたように感じています。

基本的にいただく仕事は、仕様書作成や企画書作成、スケジュール管理や品質管理など、それまで自分がやってきた経験の生きる仕事で、どの仕事もやりやすかったんですけど、中にはちょっと大変そうで自信のない仕事もいくつかあったんです。

IT講師の仕事もその中の1つでした。

初心者向けに、JAVAを教えるというものです。

基本情報処理技術者試験も合格していたので、そこそこプログラミングの知識はあったんです。ただ、ゲームプランナーなので、プログラミングの経験値としては、そこまで多くはないんです。それでお断りしようかなとも思ったんですけど、内容が初心者向けということで受けることにしました。これが、自分の人生にとって、とても良い影響を与えるものだったんです。

慣れない仕事で得た、かけがえのない経験

慣れない仕事で得た、かけがえのない経験

半年ほど、SQL、JAVAの基礎と、サーブレット・JSPに関して講義を実施しました。

知っていた情報もあれば、1から学びなおしたこともあり、かなり他の仕事よりも時間がかかったんですけど、結論、かなり楽しかったんです。

若い世代の生徒と、コミュニケーションするのも楽しいですし、人に教えるという点も非常に楽しかったんです。初心者向けとはいえ、授業の内容はWebプログラミングです。初心者にとっては、かなり難しい内容だったので、ゲーム開発の経験をふんだんに盛り込みました。全体のカリキュラムを眺めた時に、普通に実施したらすぐ離脱してしまうだろうなと感じたからです。

結果的に、授業用の資料作成にものすごく時間がかかってしまったんですけど、それが、思いのほか楽しさにつながっていました。やはり、工夫するということが、楽しさにつながっているんだろうなと思います。現在は、小学生向けのゲーム開発塾の立ち上げを手伝ったり、専門学校でゲーム開発に関して講義するお話をいただいています。

慣れている仕事の経験や知識を、未知の仕事に役立てる

慣れている仕事の経験や知識を、未知の仕事に役立てる

ここでの気づきは、生きてきたノウハウを、存分に活かそうということです。

2022年は、慣れない仕事で、自分のそれまでの経験を使わない仕事だったから、うまくいかなかったんでしょうね。それができるのは10代とか20代です。40代の自分が、全く未経験の土壌で戦うと、かなり不利になってしまいます。

それに気づけただけでも、フリーランスになってよかったなと思うんですよね。自分の魂の本質が「いつも新しいことをやっていたい」だという事にも気づけましたし、自分がこれまで経験させてもらってきた数多くの事に気づくこともできました。

今後は、慣れていない仕事を積極的に受け、これまでに得た経験や知識を使って工夫していこうと思います。

脱サラ3年目、これからの話「2024年への挑戦」

脱サラ3年目、これからの話「2024年への挑戦」

これから、脱サラをしようと考えているサラリーマンの方に言いたいのは、脱サラは準備をしてからやりましょうという事です。

僕の場合は、「えいや!」と勢いでやめてしまったので非常に苦労しました。ただ、それまでのサラリーマン時代から準備はしていたんです。イラスト作成の勉強として毎日絵を描いてインスタグラムへ投稿してましたし(結果的に2年間投稿し続けました。)、嫁さんが2年間の防衛資金を貯めてくれていた事も大きかったです。

サラリーマン時代、思えば仕事にマンネリを感じていたのではないかと思います。

これが結構侮れなくて、色々やり切ったタイミングで一気に考えてしまったんですね。ちょうどタイミングよく健康診断で引っかかって、再検査で手術して4日ほど休む経験とかもありました。

手術はすぐに終わるポリープの摘出手術でしたが、あとちょっと遅かったらガン化していたかもしれないと言われました。

もしかしたら、あの時、余命3ヶ月になっていた未来もあったわけです。

入院中、食事制限があり、2日間断食状態で、3日目の朝にお粥を食べた時に、とてつもなく幸せを感じました。コロナ禍で、面会もできない病室。あの4日間は、今でも忘れられません。

将来のことを考え、家族と話し合って、脱サラすることにしました。

それで、2022年は、イラストの仕事を中心にライティングとか、動画編集のお仕事をさせてもらっていたんですけど、それは楽しかったんですよね。

収入は微々たるものでしたが、とても楽しかったんです。

楽しかったのは「やったことのない仕事」だったからなんです。ただ、僕が方向性として間違っていたのは、未経験の知識や経験だけでなんとかしようとした事でした。

もし、会社を辞める時の僕に何か声をかけるとすれば、「ブログで、収益が5万円稼ぐ」までは、脱サラしないでおこうという事でしょう。辞める前に、次の場所を用意しておくという事、すごく当たり前のことができていなかったので、とても苦労しました。

ただ、あの苦労があったから今の幸せがあるのだとも思います。

この記事で、少しでも幸せなクリエイターが増えることを願いつつ、結びとしたいと思います。

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