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こんにちは!コンじゃぶろーです!
クリエイティブな才能とは、時として輝く星のように、人々の注目を集め、新しい価値を生み出すものです。しかし、その星が急速に輝きを増すにつれて、意外な問題が顕在化します。それは、センスの成長が継続を阻む、というジレンマです。この問題は多くのクリエイターが直面する壁となり、時には創造的な活動そのものを停止させるほどです。
では、なぜセンスの成長が創作活動の足かせになるのでしょうか? 一見すると、センスが磨かれることは良いことのように思えますが、それに伴う自己の期待の高まりや、自身の表現能力とのギャップが生まれるため、創作者はしばしば挫折感を味わいます。また、自らの内面と外部の世界との間に存在する感覚的なズレも、この問題を複雑にしています。
この記事では、センスの成長が創作活動にどのような影響を与えるのかを深掘りし、クリエイターが直面するこの独特なジレンマに光を当てます。外的センスと内的センス、それぞれの視点からこの問題を考察し、クリエイターがこの壁をどのように乗り越えられるか、または乗り越えるべきかについて考えていきます。読み進めることで、あなた自身の創造性に新たな理解がもたらされることでしょう。それでは、この興味深い旅を一緒に始めましょう。
本日の記事、重要なポイント
- センスとは?センスの定義
- センスによって継続が止まるメカニズム
はじめに:センスの成長が継続に及ぼす影響
センスと言うと、何か特別な才能だけにフォーカスが当たってしまいがちだと思いますが、全ての人は必ずなんらかのセンスを持っています。
特に、長続きしない人は、自分が持っているセンスと、「表現力」にギャップが生まれてしまっているケースが多いです。
つまり、センスが良いから継続できない。長続きしない可能性があると言う事です。
センスの定義に関しては、曖昧な部分が多くて、ややこしいので丁寧に解説していきます。
この記事を読んで、「継続できない」と嘆いている人の活力になればと願います。
才能があるのに、途中で諦めてしまうパターンが、世の中には少なくないからです。
センスとは何か?その定義と二つの側面
センスと一言に言っても、さまざまなモノがあります。
そして、細かく分類分けしていくと、非常に多種多様なセンスが存在する事に気付かされます。
最近では、DNAの研究が進んで、数万に及ぶセンスのスイッチがあることが分かっています。
これらのスイッチは、生活習慣によってオン・オフされる所まで解明されているのですが、何をすればオンされて、何をすればオフされるかはまだ分かっていない部分がとても多いです。
同じ遺伝子を持つ双子で検証が進められているそうですが、とにかく種類が多いので「センス」の詳しい解析は、未来への希望と考えて、今は大雑把な方法で2つに分類したいと思います。
1つ目は、他の人があなたに感じるセンス(外的センス)と、
2つ目は、自分が自らの内面に感じるセンス(内的センス)です。
※「外的センス」も「内的センス」も、両方とも、僕の造語なので、このブログの記事を読む時だけの参考としてください。
外的センス:他者に感じられるセンスの良さ
まずは、他の人が自分に感じるセンスの定義からです。
僕が考える外的センスはこちらです。
ある特定のものに対して、細部まで「違いを感じ取る」ことができ、その人が持つ表現力によって再現できる能力を有している。
物事に対して感性が鋭く、誰もがいいと思える様な表現ができる人。
芸術家で言えば「ピカソ」でしょうか。
常識の範囲を逸脱すると理解され難くなりなくなるので、基本的に評価する人の理想に近い表現ができる人を「センスが良い」とする考え方です。
こちらは、相手ありきのセンスです。
見る人がいて、初めて成立するセンスの定義なので、お金に換算しやすいものです。
SNS等で、「いいね」をもらいやすい人はこのセンスが素晴らしい人となります。
憧れの対象になりやすく、広く一般的に「センスが良い人」と定義されるのはこちらになります。
内的センス:自己が感じるセンスの良さ
相手がどう思おうが関係のないセンスがこちらの内的センスです。
芸術家であれば「ゴッホ」がこれに当たるかと思います。
他の人にとっては大変な事でも、自分には苦もなく表現できる事。何かを表現する時に、支払うコスト(お金・時間)が少なくて済む。毎日継続して鍛錬すれば、自然に磨かれる。
こちらは、ほぼ全ての人が持ち合わせるセンスです。
ただ、プラスだけではなく、マイナス面でもセンスとして磨かれます。
大きく分類すると「見るセンス」「感じるセンス」「表現するセンス」の3パターンに分類されます。
- 見るセンス:いいものを見たり、体験したら磨かれるセンス。(舌や耳など、五感に関係するモノも含めて「見るセンス」とします。)
- 感じるセンス:感情が動く経験をすると磨かれるセンスです。五感からの刺激に対して、頭の中でどのように消化するのかで、大きく左右されるセンスです。
- 表現するセンス:表現方法はアウトプットなので、専門性が強く種類も多い。「言語化」「プランニング」「プログラミング」「デザイン」「マネタイズ」「集客(マーケティング)」「プロデュース」
内的センスは、やればやるだけ磨かれる為、誰でも伸ばす事ができるセンスです。
実績により周りの評価を受ける事で、外的センスと認知されます。ただし、時代の流行に左右されやすく、多くのセンスは表舞台に出ずに埋もれてしまう事が多いです。
センスを磨く事で継続が止まる原因の一端を担っている仕組みがここにも現れています。
- センスが原因で、諦めてしまう事がある。
- 広く一般的に認知されている外的センス。
- 誰もが持っていて、誰でも鍛える事ができる内的センス。
センスの成長がもたらす三つのジレンマ
センスが欲しいと言う方は多いと思います。
センスが無いからお金も名声も地位も手に入らない。センスのある人が憎い。
そう思ってしまう人も少なくはありません。
しかし、最初から「外的センス」を手に入れようとしても手に入れることはできません。
そこには「実績」が必要で、しかもその「実績」によって、誰かが救われなければいけないからです。
あくまでも「外的センス」として認知されるには、他人から評価を受ける必要があります。
なので、最初に鍛えるべきは、圧倒的に「内的センス」です。
しかし、夢半ばで諦めてしまう人が多いのは、そこに「落とし穴」があるからです。
今回は、数ある落とし穴の中から3つ紹介します。
生前、1枚も絵が売れなかった「ゴッホ」になるのか、それとも晩年、城で暮らした「ピカソ」となるのかは、この「落とし穴」に気づくかどうかにかかっているかもしれません。
表現力の限界:見る目はあるが表現できない
目だけが肥えて、表現できなくなるパターンです。
自分で表現したものを、自分で否定してしまうので、傷つきやすく活動が止まりやすいのが特徴です。
もし、表現者でなく経済的に裕福であれば、一生幸せかもしれません。
好きな音楽を聴き、舞台を見て、旅行を楽しむ事ができれば最高の人生です。
しかし、表現者となると話は変わります。
見る目と表現は、表裏一体として磨く必要があります。
そうしないと、自分の見る目によって、自分の活動の息の根を止めてしまう結果になります。
ただ、対策は簡単です。
なぜなら、センスを磨く上で「目」を育てる方が大切だからです。
「目」さえよければ、自分をいくらでも磨くことができます。
少し荒療治にはなりますが、下手くそだと思う自分の絵を、どんどん発表する様にしてください。
twitterやインスタグラム、pixiv等で公開しましょう。
自分の現在位置を知る事ができて、ゴール地点も明確になりやすくなります。
自分が下手だと思う絵でも、他の人から評価されるかもしれませんし、上手になった時の比較として、表現力の上達が分かりやすくなります。
見る目と表現のピントが合った時に、外的センスとして認知される可能性があります。
コミュニケーションの障壁:アイデアの言語化と共感の欠如
センスの継続を止めるパターンとして、人からの協力が得られないと言うのがあります。
自分の考えを言語化できないと、他の人に理解されづらくなります。
僕は、「ゴッホ」がこれに当たるんじゃ無いかと思います。
素晴らしいセンスを持っていたとしても、誰にも理解されなければ無いのと同じである。
そう考えて、歩みを止めてしまうパターンも多いです。
特に、1つのセンスを集中して磨き込むタイプの人は、他の人とのコミュニケーションを放棄してしまう場合もあります。
ゲーム業界は、夢を追いかける業界なので、誰にも理解されず、諦める人をたくさん見てきました。
しかし、周りが理解できないだけで、本当に素晴らしいセンスを持っている場合があります。
クリエイターは、言語化する練習をたくさんした方がいいです。
人と会って、人の話を聞いたり、自分の話を聞いてもらったりする。
ブログやtwitterで、自分の考えをまとめる。
「言語化」と言うアウトプットができるのと、できないのとでは大きく変わります。
経済的制約:マネタイズの困難
最後に多いのは、経済的に持続できないパターンです。
夢はあっても金がない状況の事です。
バブル時代では、様々な若者が夢を描いて東京へ殺到しました。
そして、人が集まる場所では「センス」が磨かれやすくなるので、偉大なる才能が生まれました。
しかし、どうでしょうか。
人知れず、夢半ばで諦めた人も多かったのではないかと思います。
「クリエイターがお金の話をするな」といった考えも、まだまだ多かったりします。本人が「センスさえ磨けばどうにでもなる」と考えていれば、そのセンスによって未来への道を閉ざす事になります。
せっかく素晴らしいセンスがあっても、継続できなければ途中で活動が終わってしまうからです。
お金はあっても、お金の知識がないばかりに、騙し取られるケースもあります。
クリエイターこそ、お金の勉強をしなければいけません。
- 見る目が肥えると、自分の表現を見て諦めてしまう。
- 特定のセンスを鍛える事に集中し、他の人に伝える力を放棄してしまう。
- クリエイターは、お金の話をしてはいけないと思い込み、経済的困難に陥る。
まとめ:センスの成熟を乗り越えて
センスについての定義と、センスが良くなると継続できなくなる落とし穴について解説してきました。
センスは、継続するだけで、誰でも必ず成長できます。
でも、落とし穴を知らないだけで、自らの「センス」によって道を閉ざしてしまうのは、世界の損失です。
少し大袈裟かも知れませんが、「SDGs」の持続可能な社会も、こういった継続を止めてしまう人を減らす取り組みなのではないかと思います。
全ての人が、必要なセンスを全て磨く事は難しいでしょう。
それくらい、最後に説明した3つの落とし穴「表現力とのギャップ」「言語化」「経済力」の問題は大きいからです。
1人で対応しようと思うと、相当なる「努力量」が必要でしょう。
センスがあれば、努力していると感じない事もあるかも知れませんが、落とし穴を回避するセンスを持っていない場合、それは夢を拒む壁でしかありません。
しかし、足りないセンスを補い合う社会ができたとしたらどうでしょうか?
今日紹介した「センス」は、世界を構成するセンスの一部にすぎません。
世界中には、多種多様な「センス」が眠っています。
それらの力を集める事で、全ての人が無理せず、持続可能な方法で、「外的センス」を獲得する事ができる未来。人類の知恵は素晴らしいので、不可能な話ではないと信じています。
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただけてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
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