頑張って提案書を作っても、なんかどこかで見たことがある内容…。
過剰サービスが常態化している今の日本では、どんなサービスを考えても飽和状態です。ただ、それは今に始まったことではありません。この記事を読んで勇気を手に入れてください。
こんにちは!コンじゃぶろーです!
私たちの日常は、見渡す限り競争の海、いわゆる「レッドオーシャン」で溢れています。そんな中で、如何にして自らの場を確立し、成功へと導くかは誰もが直面する大きな課題です。そこで目を向けたいのが、意外にも日本のお祭り文化に隠された、豊かな創造性と革新性です。
日本のお祭りは、単なる伝統行事以上のものを私たちに示しています。それは、困難を乗り越え、人々を結びつけ、何よりも新しいアイデアを生み出す力です。お祭りは、地域社会を活性化させ、人々の間に喜びをもたらすだけでなく、私たちが直面する様々な課題に対して独創的な解決策を見つけ出すヒントを与えてくれます。
この記事では、お祭りがどのようにして苦難を乗り越える力になり得るのか、そしてその精神をどのように私たちの日常やビジネスに応用できるのかを探ります。また、競争が激化する現代社会において、お祭りの発想が如何にして革新を促し、レッドオーシャンを乗り越える手助けとなり得るのかを見ていきます。
「祭りから学ぶ」ことで、私たちの考え方、そして行動がいかに豊かになり得るのかを一緒に探究しましょう。この旅を通じて、あなた自身の創造的な発想法が芽生え、競争の激しい世界で差をつける新しい視点を得られることでしょう。
さあ、私たちの旅を始めましょう。お祭りの豊かな世界が、あなたの日常に新たな色彩を加え、未来への扉を開く鍵となるはずです。
本日の記事、重要なポイント
- お祭りの役割
- お祭りを生み出す社会
はじめに:お祭り文化とは?レッドオーシャン時代の生き方
日本って、とにかくイベントが多いですね。
試しに、今日の日付と「何の日」というキーワードで検索してみてください。
聞いたことのあるモノから、聞いたことのないモノまで、様々出てくるでしょう。
日本では1000年前から続く、メジャーなお祭りも少なくはありません。
そんな昔から、イベントや行事を作り続けてきたモノだから、日本のイベントは、超飽和状態です。
今現在も毎日、熾烈な認知活動が続けられていると想うと、ワクワクしませんか?
お祭り文化がもたらす社会的役割
そもそも、行事やお祭りの役割って、何でしょうか?
必要でなければ、存在しないはずなんです。他の国がそうであったように、日本もそこまでイベントがなかったはずです。
日本で、生き残る為には、「お祭り」が必要なものでした。まずは、お祭りの役割に関して紐解いてみます。
お祭り文化の深層:苦難を乗り越える祭りの力
お祭りが最初に必要になったのは、食糧難です。天に御供物をすることで、豊作を願うといったモノです。
実際に、収穫祭的なものは世界中にあるので、まずはそのあたりから始まりました。その後、日本は島国だったので度々飢餓が発生します。
また、火山地帯なので、地震等の災害も多い地域です。飢饉や災害が発生した時は、コミュニティの結束が必要になります。
最近は大きな震災が立て続けに起きましたが、ご近所さんと普段から会話をしておくことで、生存率が高まることが確認されています。
村の中で、バラバラになっているコミュニティが、祭りの時だけ協力して催し物をすることで、災害時に円滑な協力が出来るようにして、コミュニティの生存率を強化する役割がありました。
一度、堺のだんじりに参加させて貰ったことがあるんですけど、山車をひく様は「いくさ」そのモノだったので、軍事訓練の名残なのでは?と思いました。太鼓の音に合わせて何キロもダッシュするんですけど、足袋のサイズが合ってなくて、足の爪が何枚か剥がれ、全ての爪が赤黒く変色しました。
これが、もし「いくさ」だったらと思うと、背筋が凍る思いがしました。戦略ゲームだと、コマを1歩動かすだけですけど、そこに走っている兵隊がいると感じれた体験でした。
「いくさ」の予行練習としての祭り。これも、コミュニティの生存率を高める立派な役割です。
また、地域によっては、カップリングの役割もありました。時にはお忍びで、身分や立場を超えた交わりもあったようです。これも、コミュニティの生存率を高めることになります。
様々な苦難が来る前に、コミュニティの生存率を高めるのが「祭り」の役割です。
伝統から学ぶ、困難に立ち向かう方法
世界では、宗教を持っていることが当たり前です。宗教を持っている事(信仰心がある事)がドレスコードになっている地域もあります。また、地域によっては違う宗教の人に対して、石を投げるというのも日常の風景です。
日本のように、正月は神社、クリスマスはキリスト教、葬式は仏教みたいな国は珍しいと思います。
僕は、この日本人の宗教に対する考え方、好きだったりします。道を歩いていて、石を投げられたり、命の危険があるってどうしてもおかしいと思うからです。自分の神様を信じない人を悪だと考えるのは、少し乱暴だと思います。
宗教が必要だったのは、「大陸」の文化です。
出会った人が、「敵」なのか「味方」なのかを、瞬時に判断する方法として、「宗教」は必須の要素です。
そうでもしないと生きていけないというのが世界のルールでした。
米1粒に、7人の神様が宿る。八百万の神。
この日本独特の文化が、ここまで祭りを生み出す要因と言えるんじゃ無いでしょうか。固定概念にとらわれない、新しい発想を生み出す文化は、こういった所から生まれたんだと思います。
他の宗教を排除する考えだと、どう考えてもその先の発想に発展しません。事実、宗教によって科学や医術の発展は、かなり遅れていたようです。
- 祭りは、コミュニティの生存率を高める
- 日本独特の宗教観がもたらす、固定概念破壊の発想文化
発想力の源泉:お祭り文化から学ぶイノベーション
近代になって、命の危険にさらされることは少なくなってきましたが、災害のリスクは減っていない為、古いお祭りは消滅せずに残り続けました。
医療や農業の発達によって、昔に比べて生存率は爆発的に高まったわけですが、イベントの種類は減るばかりか、どんどん増えています。どういうことでしょうか?
これは、生存競争のステージが、食糧から情報に変わったからです。
商品やサービスの質が、かなり上がってしまったので「モノが売れません」こうなってくると、生き残りをかけた「イベント」を打ち出す必要が出てきます。
日本人は、狭い島国の中で、「飽和状態」と、戦ってきた種族です。
他のものに負けないように、様々アイデアを打ち出し、生き残りをかけた祭りを仕掛けてきました。
飽和社会で新しいアイデアを生み出すコツ
オリンピック招致、万博博覧会招致、クリスマス商戦、バレンタイン商戦、ホワイトデー、恵方巻き、ずっと閉店セール、夏のクリアランスセール、モノを売る為にイベントは、山程生まれました。
大量製造、大量消費、薄利多売、なおかつ市場は飽和状態。どこのメーカーの品を食べても、ほとんど同じです。
常にレッドーシャンの中で戦い続ける種族です。
江戸時代、江戸の町にはかなり奇抜なサービスが山程あったそうです。
- 親孝行:親の人形を担いで、「親孝行でござーい」と言いながら課金を募る。課金で徳を積む。
- 考え物:クイズの押し売り。答えが知りたかったら課金。
- 蝶々売り:蝶々のおもちゃを売りあるく。
- 放し売り:捕まえた動物を逃す。課金で徳を積む。
- 一人相撲:一人二役で相撲をとる。
- 紙クズ買い:ちり紙のリサイクル。江戸の街は、灰か生ごみしか捨てないリサイクル循環社会。
江戸時代には、既にレンタル業や質屋、家にいながら買い物ができる棒売りの仕組みがあり、職業のうち19%はリサイクル関係の仕事でした。考えつく商売は、なんでもやった時代です。
江戸時代も飽和状態。「江戸時代 珍商売」で検索すると、その当時にあった珍しい商売が出てきます。アイデアがすごいなと感心するので、興味がある方は調べてみて下さい。
僕も、ガラケーでゲームを作っている時、携帯電話でゲームをしている人の人口は1000万人くらいでした。その時でも、もうこれ以上面白いものは出ない「飽和状態」だと思っていました。
しかし、その状態で「ソーシャルゲーム」「パズドラ」の登場によって、「飽和状態」は幻想だと思わされました。
日本人は、いつの時代も、こうやって「飽和状態」の中で勝負し続けてきたわけです。で、あれば、もうこれ以上面白いものが出ない「レッドーシャン」と呼ばれる場所に身を置くのも面白いんじゃ無いでしょうか?それが、僕たちの戦い方だからです。
お祭り体験を通じた発想力の鍛え方
お祭りの良い所って、物心つく前から「体験」出来ることにあると思います。
どんなことでも、発想は「体験」から生まれます。
「体験」に乏しい人は、「発想」も乏しくなります。
お祭りで、一度予行練習をしているからこそ、いざ災害が起きた時に、「発想」が生まれ、人命を救うアイデアが出てきます。
現代人は、何かをするときに、「する理由」をあれこれ考えすぎだと思います。そして、あれこれ考えたすえ、めんどくさいから行動しない。あなたの周りにもそういう人いないでしょうか?
ここで、断言します。アイデアの発想は「体験」からしか生まれません。
本で読んだだけの「体験」では、非常に弱いです。弱いアイデアしか出てきません。全てのシューティングゲームを遊んだ人と、攻略本を読んだだけの人とで「シューティングゲーム」の企画書を書いた時、どちらが面白い企画が書けるでしょうか?
全てのシューティングゲームを遊んだ人です。体験を通して、各要素の効果や本質を理解しているから、それを組み合わせた発想ができます。
また、ゲームだけ体験した人よりも、実際にドッグファイト(戦闘機の空中戦)を経験した人の方が面白いゲームが作れると思います。
ゲームを作る為のノウハウは必要ですが、特定の分野の「体験」が多い専門家は、とても強いです。
それくらい、体験がもたらす発想には「力」があります。
- 飽和状態で、発想し続ける日本人の伝統
- お祭りは、「体験」がセットになったエンタメ
- アイデアは、「体験」から生まれる
まとめ:レッドオーシャンを恐れず前進する日本人の発想力
日本人の祭り好きの特性を、紐解いてきて、どうして日本人はこれほどまでにレッドオーシャンで戦い続けてるんだろう?と思いました。
コンビニに行ったら、お茶だけでも10種類以上あったりします。THE飽和状態です。
島国だから、逃げ道がなかったから、その場に踏みとどまって戦い続けるしかなかったと考えるのが自然でしょうか。
インターネットや物流ネットワークが整備され、飛躍的に世界が小さくなった今、世界中の企業が、同じ場所、同じ条件で1箇所に集められた状況になりました。
この世界的な「飽和状態」の中で生き残るのはどこの国か。
僕は、日本だと思います。今こそ、日本が世界の役に立つ時ではないでしょうか?
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただけてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
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