AIが登場してきた時代に、どういうコンテンツを作っていくべきか?
将来どういうものが流行るだろうか?
そういった悩みを抱える人は、こちらの記事を見て過去のエンタメの歴史に触れてみましょう。
こんにちは!コンじゃぶろーです!
私たちの生活は、時代と共に大きく変わってきました。高度経済成長から現代の令和時代に至るまで、日本人の趣味や嗜好は、時の流れとともに革新的な変貌を遂げてきました。この記事では、そんな趣味の世界がどのように進化してきたのか、そして今、AI(人工知能)がもたらす新たな革命に焦点を当ててみましょう。
かつて、高度経済成長期の日本では、新しい技術や文化が生まれ、人々の嗜好に多様な色を加えていました。昭和のバブル時代には、豊かさの中で花開いた趣味の世界がありました。そして、平成の時代に入ると、インターネットの普及と共に、私たちの楽しみ方はさらに広がりを見せます。しかし、令和に入り、私たちの前に現れたのは、AIという全く新しい次元の技術です。
AIの登場は、単に新しい技術が生まれたというだけでなく、私たちの趣味や楽しみ方自体を根底から変えつつあります。これまで人の手によって生み出されてきたコンテンツが、AIによってどのように変革されるのか?そして、AIが私たちの娯楽にどのような新しい価値をもたらすのか?この記事を通じて、その答えを一緒に探っていきましょう。
趣味の変遷を辿る旅は、ただの歴史の振り返りではありません。それは、私たちのアイデンティティと密接に関わる、感動と驚きに満ちた物語です。そして、AIの持つ無限の可能性に心を躍らせながら、これからの時代が私たちにどんな楽しみをもたらすのか、想像することは非常に刺激的です。
この記事を通じて、あなたも高度成長期から令和へと続く、日本人の楽しみ方の変遷を体感し、AIが開く新しい世界を一緒に覗いてみませんか?
私たちの趣味の世界が、AI革命によってどのように変わるのか、その魅力的な旅を始めましょう。
本日の記事、重要なポイント
- 多様化する趣味嗜好の歴史
- コンテンツ開発が抱える課題をAIは救えるか?
趣味の変遷とAIの新時代
「昔遊んだゲーム」と、「今遊んでいるゲーム」で、楽しかった思い出話が弾むのって、昔のゲームばかりだったりしますよね。
「昔遊んでいたゲームの方がおもしろい」という結論は、ちょっと雑だと思ってます。
今のゲームの方が、内容も表現力も凄いから面白いんです。
友達と、話が盛り上がらないのは、最近リリースされた素晴らしいゲームで遊んでる人が近くにいないだけです。
ゲームが好きで、ゲーム業界に来ている友人同士でも、同じゲームで遊んでいる事が少ないんですから、一般の人に至っては、同じゲームで遊んでいる人と出会えるのは奇跡に近いと思います。
だから、いつも話題になるのは昔のゲームばかりになっている。
僕は、昔のゲームばかり楽しいと感じるメカニズムは、そこにあると思います。
時代ごとの趣味の変化
時代ごとの趣味の変化に注目すると、未来を予測しやすくなります。なぜなら、技術革新のパターンはたくさんあっても、新しい技術で混乱する人々のパターンはそこまで多くなりからです。そこから技術革新に対する準備というか心構えが見えてきます。
日本の高度経済成長期、国民の余暇時間が増え、映画鑑賞やラジオ、初期テレビが人気を集めました。家族でのアウトドア活動も流行しました。バブル時代には、豊かさの中で趣味が多様化。高級ブランド、海外旅行、ゴルフなどが人気を博しました。平成に入ると、インターネットの普及でオンラインゲームやSNS、動画共有サイトが登場し、デジタル化された趣味が台頭。令和時代は、テクノロジーの進化が目覚ましく、VR、ARといった新しいエンターテイメント形式が注目されています。
AIの影響と可能性
AI技術の進化は、趣味の世界に革新的な変化をもたらしています。
AIによる推薦システムは、個人の好みに合わせたコンテンツを提供し、ユーザーエクスペリエンスを格段に向上させています。例えば、AIが生成する音楽、絵画、文学作品などは、人間の創造性を補完し、新たな芸術の形を生み出しています。また、ゲームや映像作品におけるAIの利用は、リアルタイムでのインタラクティブな体験を可能にし、伝統的なエンターテイメントの枠を超えています。AIの持つ無限の可能性は、今後の趣味や娯楽の世界を大きく変革するでしょう。
日本の趣味文化:過去から現代へ
人が面白いと思う事って、めちゃくちゃ種類があると思います。
だから、売れるモノや求められるモノを作るのって、至難の業だと思うんです。
誰もが満足するコンテンツって、めちゃくちゃ難しい。
ちょっと前であれば、皆テレビを見ていて、同じゲームで遊んでいたと思います。
もっと昔であれば、みんなこぞって家電(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)や、車、家(マンション・一軒家)といった、皆が持っているモノを欲しがる傾向にあって、売れるモノがある程度想像もできました。
ただ、今は、ヒット商品を作るのは難しいなぁと思っています。
趣味嗜好の多様化の話をする上で、歴史を追って考えるのって大事だなぁと思うので、ちょっとそのあたりを追いかけてみたいと思います。
高度経済成長期の娯楽
高度経済成長期のお話。
日本は戦後、奇跡の経済成長を遂げました。
もともと、技術力はとても高くて、イイものを作るチカラは、めちゃくちゃあったんだと思います。
そこへ、「コンテナ」が生まれて、アメリカから大量の商品が輸入されてくるようになりました。送られてきた船に、今度は大量の日本製品を詰め込んでアメリカで売られる。
戦前では、考えられないような膨大な物流により資本が行きかうようになりました。
核家族化が進み、家庭の数が爆増し、皆こぞってマンション、三種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)、そして、マイカーを求めていた時代。
車は「白ければ売れる時代」と言われるくらい、皆が同じ色のモノを求めていました。
趣味嗜好がたくさん無かったか?といえば、そういうわけではないです。
その頃にも、歌舞伎や舞台、音楽、芸術的に素晴らしい商品やサービスは山ほどありました。
ただ、白黒テレビの時代だったので、一般の人の目の前に出てくる商品が、どれもこれも白かったんじゃないでしょうか。
毎日、白黒の商品ばかりを見ていたら、皆白色のモノを求めてしまうのも分からないでもありません。
無料で入ってくる情報が、何なのか?という事が重要な気がします。
バブル時代(昭和後半時代)の趣味
テレビもカラーになり、街には色々な商品があふれかえるようになりました。
この時から、様々な趣味嗜好が一般に広がっていったようで、消費の種類もどんどん広がっていきました。
ただ、イケイケのバブル時代ですから、お金に糸目はつけずに何でも買う事ができました。
お金を使う事がステータスの時代です。
無料で入ってくる情報源は、もちろんカラーテレビ。
でも、テレビ業界の匙加減ひとつでモノが売れる時代だったので、テレビ広告をうてばモノが売れていたように思います。
無料ではないですが、新聞や雑誌も強いですね。
ゲーム業界等、ニッチな業界とか専門的な業界では、まだまだ商品が少なかったので、皆同じ商品を持っている状態が続きました。
平成時代の嗜好
平成に入って、すぐにバブルが崩壊しました。
それでも、この時代はテレビが全盛の時代だったので、広告をうてば商品は売れる時代でした。
ただ、不景気の足音は確実にしのびよってきて、皆ある事にきづきはじめました。
楽しく遊ぼうと思ったら、何でもお金がいる。
テレビでは、毎日のように楽しい事が紹介される・・・それなのに、お金が無いから遊べない。
限られた財産で遊ぶには、選択しなければいけない!
全て買えないフラストレーションがたまって、いつしか爆発。
世の中に、大富豪ドリームが蔓延しました。ドラマや映画やバラエティで、
「一攫千金」「破産」を扱ったコンテンツが出てきて、人々を夢の世界へいざなったのです。
この平成で、「何にお金を使うのか?」という思考によって、人々の趣味嗜好が大きく変形しはじめてきました。
しばらくこの状態が続くと何がおきるか?
人々の趣味嗜好のベクトルがとがり出すんです。
令和時代の楽しみ方
令和に入るちょっと前から、時代は大きく変わりました。
Youtubeやサブスクコンテンツが増えてきました。
戦後の経済成長から、今までの趣味嗜好の歴史を紐解いてきて、「無料で手に入るコンテンツ」が人の趣味嗜好に影響を与えているのは間違いないと思います。
今の時代は、無料で楽しめてしまうモノが、圧倒的に増えました。
テレビ見る人は少数派になりました。
ゲームをする人も少数派になりました。
無料で楽しめる。もしくは、無料に近い低額料金で楽しめる「サブスクコンテンツ」は、非常に格差を生みづらいコンテンツです。
SDGs等で言われているように、持続可能な経済を築くのに「格差の無い」コンテンツというは、必須なんだと思います。
AI技術によるコンテンツ革命
趣味嗜好は多様化していて、コンテンツは巨大で複雑になり開発費が爆増している。
それなのに、コンテンツにお金を払う事が、SDGsに反する流れ。
格差を生まない、根本的に考えを変える必要が出てきていると考えます。
ゲーム業界は、かなり「無料」に舵をきっています。
テレビ業界は、もともと「無料」でしたが、同じ「無料」のYoutubeと、「サブスクモデル」の映像コンテンツに押されています。
まだ、数年は大丈夫だと思いますが、そのうち確実に高騰する開発費に圧迫され崩壊すると思います。
「格差を生まない」為には、開発費をかなりおさえる必要があります。
開発に1億も10億もかけていては、必ず格差ができてしまうからです。
できれば1人、もしくは3~4人で開発したコンテンツで勝負できる世の中にしなくてはいけません。
丁度、Youtubeの番組制作もそれくらいになっているのではないかと思います。
AIの能力と影響力
ゲームは、業界の常識だけで考えると、3~4人で作れるモノではありません。
しかし、AIのチカラを使えば、可能性はあると思います。
キャラクターの自動生成。
マップの自動生成。
音楽の自動生成。
シナリオの自動生成。日々、進化し続けています。
AIは、万能ではありませんが、近い未来に、あらゆるモノを自動生成し60点くらいは出せるようにはなるでしょう。
人間は、AIが60点出したモノを100点に近づければいいだけになります。
「AI」が出てきたら、人はいらなくなるんじゃ?と思う人もいるかもしれませんが、
僕は、AIが全盛になっても「人間」のセンスが必要なのは変わらないと考えています。
最終的に楽しむのが人間ならば、最終的な味付けは人間にしかできません。
AIが実現する無限の趣味世界
今後、AIは、どんどん人の生活に入り込んでくると思います。
ゲームや、テレビ等、専門的な業界の事を考えなければ、AIは確実に人間によりそう「執事」になると思います。
全世界の人は、スマホ等の小さくて安価なデバイスを持ち、世界トップレベルの最高の執事やコンシェルジュを無料で手に入れるイメージです。
誰かとコミュニケーションをする時のアポ取り、旅行に行く時の宿や移動の準備、映画や演劇の予約。
人間関係の法律が絡んだトラブル。健康診断。医療。福祉 等々。
全てAIに頼めば、国を代表するVIPや、大統領同士であっても、「〇〇さんと会談のセッティングを」の一言で済むようになると思います。
人の多様な趣味嗜好に、寄り添えるのはAIだけ。
そんな日も、もうすぐやってくるかもしれませんね。
そうなってくると、「人って必要なの?いらなくなるんじゃない?」と思う人もいるかもしれませんが、現在存在する最高の執事を手に入れて、存在価値が無くなる人がもしいるのだとしたら、それはその人自身にもともと価値が無いのだと思います。
どんな人でも生産性が爆上がりして、好きな事だけをして生きていける。
そういう時代にしかならないのではないでしょうか。
まとめ ゲーム業界におけるコンテンツ平等の未来
課題に苦しむ時というのは、ドラえもんの便利な道具に頼るような形で「AI」を求めがちです。
しかし、「どげんかせんといけん!(どうにかしないといけない!)」という想いがずっとあります。
ゲームやテレビは、明らかに皆の中心からは外れてしまっています。
それは、別に悪い事ではなくて、もともとそれが正常だったのではないかと思います。
人口が爆発的に増えて、コンテンツの供給が追い付いていなかっただけで、今の状態が正常。
そう考えるのが自然です。
数が少なくて、お金や物資で制限していた時代から解放されて、ようやく人々が、格差の少ない状況になってこれたので。
今後、この流れはどんどん加速していくと思います。
すべて無料で楽しめるようになる。
それなら、無料で販売できるくらい低コストで作れる時代が来るのが自然ですよね。
一人で開発して、一人で販売する。
毎日のように面白いゲームが出てくる世の中は、すぐそこまできているかもしれません。
ゲーム開発でなくても、ChatGPTを使ったアプリ開発が解禁されたので、もっと一般の人が使いやすい形でAIが使われる未来はすぐそこまできています。
「24時間いつでも話し相手になってくれるアプリ」なんかはすぐに開発されるでしょう。
そうなると、孤独の解消が進むかもしれません。ワクワクしますね。
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただけてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
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