作ったゲームに深みが出ない…。
なんの為にゲームを作っていたか忘れてしまった…。
そういう方は、この記事を見て少し視点を変えてみてください。
こんにちは!コンじゃぶろーです!
ゲームをプレイする時、私たちは単に画面上のキャラクターを動かすだけでなく、作り手の思いや物語に浸り、時にはその世界に完全に没入します。では、忘れがたいゲーム体験を作り出すために、開発者はどのようにしてプレイヤーの心をつかむのでしょうか?答えは、「おもてなしマインド」にあります。このコンセプトは、単なるエンターテインメントを超え、プレイヤー一人ひとりに対して丁寧に心を込めた体験を提供することを指します。
ゲーム開発における「おもてなし」は、プレイヤーが何を求め、どのように感じるかを深く理解し、それに応えるための工夫を凝らすことから始まります。それは、ゲームのデザイン、ストーリーテリング、インタラクティブな要素が絶妙に組み合わさることで、プレイヤーに新たな発見や喜びを提供することを意味します。また、プレイヤーが直面する挑戦や達成感を計算し、ゲーム内での一つ一つのアクションが持つ意味を豊かにすることも含まれます。
この記事では、ゲーム開発の新たな視点としての「おもてなしマインド」に焦点を当て、その具体的な方法とゲームにおけるその影響について掘り下げていきます。プレイヤーが真の主役となるゲーム世界をどのように創り上げるか、その秘訣を一緒に探求しましょう。
本日の記事、重要なポイント
- おもてなしとは
- 茶道から見た、ゲーム開発のおもてなし
ゲーム開発のおもてなし:忘れられないゲーム体験の創造
「ゲーム開発は、おもてなし」と言われると、多くの人は「?マーク」が出てくると思います。
ゲーム業界がサービス業だという印象が少ないからです。
ゲーム開発は、製造業だという意見もあります。
しかし、老舗のゲームメーカー「ナムコ」が上場した時、サービス業として上場しました。ナムコ以外にも様々なゲーム会社で、自社の事業を「サービス業」と位置付けて活動されています。
総務省の「情報通信白書」でも、ゲームソフト開発は、「情報サービス業」と記載されています。
ゲーム開発は、サービス業であり「おもてなし」だ。
そういう方がなんか良い感じしませんか?
ゲーム業界での就職を目指していた頃、企業研究の時に「サービス業」という言葉を見かけて、心がウキウキしたのを覚えています。
おもてなしの層別理解
おもてなしとは、「オモテとウラがない」であったり、「モノを持って成し遂げる」といった意味の言葉です。
相手が気遣いを感じない自発的な行動でなければいけません。そして、相手の心に寄り添い、余計な気遣い不要な細やかな気配りを「おもてなし」と言います。
東京オリンピック誘致の際に、海外向けのプレゼンで有名になったこの「おもてなし」文化は、日本が誇れる文化の一つです。
おもてなしの階層:基本から応用へ
お客様が喜ぶ事が、全ておもてなしでしょうか?
全てがおもてなしと考える方法もあるかもしれませんが、ある一定の評価基準に定義したいと思います。
相手への気遣いをレベルわけして、以下のように定義したいと思います。
レベル4:ホスピタリティー、見返りを求めない「おもてなし」の心。
レベル3:サービス、期待を上回るプロのレベル。
レベル2:マナー、誰もが気持ちよく過ごす為のルールがある状態。
レベル1:モラル、倫理的に最低限のルールを守った状態。
ゲーム開発に置き換えて考えてみると、「レベル1」は、エロ・グロを含んだ、倫理観が低めのゲームです。「レベル2」のマナーは、不具合がない等の最低限の品質を保ったもの。レベル3の「サービス」は、不愉快な要素を徹底的に排除したゲームです。一般のユーザーが買うようなゲームはここに属しているイメージです。
そして、最後のレベル4は、「ホスピタリティ」です。実際に仮想世界に入ったような感覚になったりする一流のおもてなしです。
このようにレベルわけをすると、自分の作ったゲームを正しく評価する目を持てるようになります。
ゲーム作りは、客観的な目が必要なので、自分のゲームを評価する物差しが必要です。
例えば、レベル1やレベル2を無視して、レベル3へ到達する事はできません。しかし、実際にゲームを作る時、いきなりレベル4を狙いがちだったりします。
おもてなしの歴史:伝統技法の教訓
おもてなしの文化が始まったのは、茶の湯の世界からです。
鎌倉時代に日本へ入ってきた「茶の湯」の文化は、じわじわと日本各地に広まっていきました。
室町時代の頃には、狭い茶室でのむ侘茶(わびちゃ)の状態になり、安土桃山時代に千利休が「茶道」として昇華しました。
茶道では、「目配り」「気配り」「心配り」が大切です。
狭い茶室という世界の中で、招き入れたお客様の心に寄り添い、最高のサービスを提供します。
長い歴史の中で、少しずつ茶道は形を変えて人々の心に根付いていきました。
その根本にあるのが「おもてなし」です。
この文化が、ゲームとリンクするように思います。
- ゲーム開発はおもてなし。
- おもてなしをレベルわけして考えると、ゲーム作りとの共通点が見えてくる。
- 茶の湯の歴史を見て、これからのゲーム業界の未来を見る。
茶道とゲーム開発のクロスオーバー
趣味でお茶を立てる事がありますが(見よう見まねの下手な作法ですが)、お茶碗1杯で世界を作り出す心意気に、シンパシーを感じます。
なぜなら、様々な相違工夫によって、美を追求した千利休が作っていたのは、1つの美しい世界だったと思うからです。そして、ゲーム作りもルールによって世界を作り出すエンタメです。
もし、千利休が、ゲームを作ったら?と考える事があります。
千利休が現代を生きていたとして、どんなゲームを作っただろうかと考えたら、ワクワクしませんか。
茶道に学ぶデザイン哲学
小さなゲーム機を起動し、スタート画面から招き入れる。
そして、プレイが始まったら「ゲームクリエイター」は完全に姿を消して、ユーザーをゲームの世界へ引き込みます。
茶の湯の世界も、茶室のある庭に入るところから始まります。
どんなにえらい人でも、小さな窓から頭を下げて入り、小さな茶室でお茶をいただきます。
入り口から茶を飲むまでの間に、世界が作られている。
茶の湯の中には、「おもてなし」が形となって現れています。
プレイヤーとの共感を深めるデザイン思考
ゲーム作りは、徹底的にプレイヤーの視点に寄り添うエンタメです。
ゲーム機に電源を入れてから、(あるいは入れる前から)ゲームクリエイターの演出は始まっています。
導入部分には、様々な工夫が施されていて、プレイヤーを物語の世界に引き込みます。
ゲームの世界観、目から入ってくる映像、耳に流れてくる音楽、作法、心の揺らぎ。
ゲームをプレイするユーザーの気持ちになって、1つずつ丁寧に体験し調整を加えていきます。何度も繰り返しプレイして、メインの面白さに対して誤解が生まれないようにしなければいけません。
どんなゲームも、提案時点は確実に面白いのに、完成させた時につまらないと感じる事があります。これは、プレイヤーとの間に誤解が生じて、1番面白い部分に到達できていない事が原因です。
徹底的に、プレイヤーの気持ちに寄り添う必要があります。
これが、茶の湯にも通じる「おもてなし」の心です。
- 茶道もゲーム開発も、世界を作るエンタメ。
- プレイヤーの気持ちに寄り添い、おもてなしする心が大切。
まとめ ゲーム開発はおもてなしの心から
ゲームは、サービス業である。
心のどこかに、そういった気持ちがなければ、ゲーム作りはできないんじゃないかとさえ思います。
そもそも、作るのに時間もお金もたくさんかかりますから、ちょっとやそっとの気持ちでは完成まで持っていく事ができません。モバイルゲームを作っていた頃は、ゲーム作りに入ると、没頭しすぎて、それ以外の事ができなくなったりしました。
今であれば、ある程度経験があるので、片手間でもできるかもしれません。
しかし、片手間では高いレベルである「おもてなし」は実現出来ません。モラルを守るのが精一杯だと思います。
まずは、ゲーム開発に没頭できる為の経済力をつけるのが目標です。
より良い「おもてなし」の為に、今日もコツコツブログを書いている。
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただけてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
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