人生の目標が見えない…。
一歩目が歩み出せない…。
自分のサイコロを振り込む勇気が欲しい方は、こちらの記事をどうぞ。
こんにちは!コンじゃぶろーです!
人生とゲームは、一見すると何の共通点もないように思えるかもしれません。しかし、私たちの日常は、予測不可能なサイコロの目のようなもので、時には偶然、時には必然の選択が織り交ざっています。この記事では、人生とサイコロ、そしてゲームの面白い関係性について掘り下げていきます。
「人生はサイコロを振るようなもの」という考え方は、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルのものです。彼は、「人はサイコロと同じで、自らを人生へと投げ込む」と述べ、私たちの選択が未来を形作ると語りました。実際、日々の決断が未来への一歩となり、その連続が人生を構築していくのです。
一方で、ゲームの世界においてサイコロは重要な役割を果たします。ゲームではサイコロの目が次の行動を決定づけ、その偶然性がゲームをより面白く、予測不可能なものにします。しかし、ただ単にサイコロを振るだけではなく、どのようにその結果を受け入れ、どう行動するかがゲームを制するカギとなるのです。
この記事を通じて、サイコロが持つ「偶然」と「必然」の要素を人生とゲームの双方に見出し、どのようにしてこれらを受け入れ、また活用していくかを探っていきます。サイコロを振る勇気とその結果をどう生かすか、その選択が私たちの未来を形作っていくのですから。
それでは、人生とサイコロ、ゲームの面白い交差点について、一緒に考えていきましょう。どのように毎日を生きるか、どのようにゲームを楽しむか、そのヒントがここにはあります。
本日の記事、重要なポイント
- 人生は、サイコロをふるようなもの
- ゲームの世界もサイコロでできている
はじめに:人生×サイコロ×ゲーム
「人生は、ゲームである」そう思った事はありませんか?
仕事をゲームのように捉えて生産性を上げる、「ゲーミフィケーション」や、
人生のルールを、ゲームの中に反映させて面白く作り上げた「人生ゲーム」なんかがあるように、「人生」と「ゲーム」は非常に相性が良い組み合わせです。
その理由はいくつかありますが、一番の理由は「ルール」の存在です。
ゲームの世界は、必ず「ルール」によって作られています。
箱庭を用意して、その中に「ルール」を決めます。
そして、もしその「ルール」が、多くの人に支持されれば、そのゲームはヒットします。
一方、現実社会は、「法律」というルールによって作られています。
法律が生まれるまでは、王様がルールでした。
人が暮らしてきたどの時代も、ゲームの中でさえも「ルール」が存在します。
そして、その中の住人は「サイコロ」をふる権利が与えられ、人生という名の双六をプレイしています。
誰であっても、その理(ことわり)から逃れる事はできません。
人生はサイコロのようなもの
人生は、サイコロをふるようなものです。
いつ?、どこで?、誰が?、どうして?、どのように?、サイコロをふるかで行き先は変わっています。
実際にサイコロをふるわけではありませんが、全ては「確率」に支配されています。
ふるサイコロは、1〜6の点が掘られたサイコロではありません。
人によっては、1か2しか出なかったり。
人によっては、100面のサイコロかもしれません。
人生においてのサイコロは、サイコロをふる前の準備や努力によって変える事ができます。
そこが、面白いところです。
どの勝率の時にサイコロをふるかで、それこそ人生が変わります。
人生は、選択と行動の連続
人生は、選択と行動の連続です。
ありとあらゆる事は、「選択」によって行き先が代わり、行動によって結果が生まれます。
中学校、高校、大学、社会人、老後、人生には、さまざまなタイミングで「選択」と「行動」を迫られます。
そして、その中で一番多く選択されているのは、
「自分で責任を取る」と「他人に任せる」の2択ではないでしょうか?
自分でサイコロをふるのか、他人にふらせるのか、終身雇用を推奨していた日本では、無意識に「他人にふらせる」(リスクを取らない選択)をしているように思います。
しかし、某漫画でも「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と怒られている通り、他人にサイコロをふらせても良い事は起きづらいです。リスクをとっていないからです。
自分で選択した行動であれば、良い結果が生まれます。
リスクをとっているからです。ただ、リスクをとっているので失敗すればダメージも大きくなります。
他人の選択によって行動した場合は、リスクが少ない為、失敗のダメージを抑える事ができます。しかし、より良い結果は生まれにくいです。
サイコロも経験値があります。
サイコロをふり慣れていない人が、いきなり大勝負に出ても失敗しやすいので、自分でサイコロをふる経験をしていった方が良いです。
サルトルの名言「人は賽子(サイコロ)と同じで、自らを人生へと投げ込む」
「ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)」という方をご存知でしょうか?
哲学論文「存在と無」で有名な哲学者です。
ノーベル文学賞を最初に辞退した哲学者です。
そんな自由な彼が「人は賽子(サイコロ)と同じで、自らを人生へと投げ込む」という名言を残しています。
自分というサイコロを作り上げ、チャンスが来た時に、勝負する。
人生を表現した言葉だと思います。
サルトルは、人生について、さまざまな名言を残していますので、いくつか紹介します。
- 人間の運命は人間の手中にある。
- 人間は自由という刑に処せられている。
- 一人でいる時に孤独を感じるのなら、あなたは悪い仲間と付き合っているということだ。
- 人生は絶望の反対側で始まる。
- 人間は、自らの行動の中で、自らを定義する。
- 社会という檻に閉じ込められると、無意識の内にそこに順応しようとする。
- 人は、自らの本質と選択に全責任を負う。
- 人は、自由であることに運命付けられている。なぜなら、一旦この世に投げ込まれると、人は自分の行動の全てに責任を負わなければならないからだ。
- 人は各々の道を作り出さなくてはいけない。
- 自由とは、自由であるべく、不自由であることである。
- 人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである。
- 一人ひとりの人間が究極の絶対的な自由を持っている。
- 人間は状況によって作られる。
- 実在は本質に先立ち、それを規定する
少し、多くなってしまいました(汗)。
どれも、考えさせられる言葉ですね。
最後の「実在は本質に先立ち、それを規定する」というのは、サルトルの主張である「実存主義」によるものです。
全ての人間は、最初何者でもない。
そして、生まれた後に、その人が自ら歩んだ人生が「本性」となっていく。
その結果「人間」になるという考えです。
私は、サイコロをふりながら「人間」になっていくと思います。
この世の全ては「確率」でできているので、生きている内にどれだけ(自分で)サイコロをふったかで、人生は大きく変わるからです。
- 人生もゲームも「ルール」で出来ている。そして、どちらもサイコロで前に進める。
- 人生は、「選択」と「行動」の連続である。
- 人生は、サイコロをふった数で大きく変わる。
ゲームの世界もサイコロでできている
ゲームの世界もサイコロで出来ています。
ゲームを作るとわかるのですが、ゲームの中には「確率」がとても多いです。
わかりやすい所であれば、RPGなどで攻撃が当たるかどうかを勇者のパラメータから計算しています。
そのスピードが、あまりにも早い為、気づかれづらいですが、全てサイコロで計算されています。
例えば、0から99の数字がランダムで選ばれる「処理」を用意し、出た数字が30以下だったら「攻撃成功」みたいな事をプログラムで組んでいます。
結果が「攻撃成功」「攻撃失敗」の2択だけではなくて、「逃げる選択(20%成功)」「アイテム選択(100%成功)」「盗む(10%成功)」「調べる(30%成功)」という具合に、選んだ選択に応じて確率を設定します。
会話を楽しむアドベンチャーゲームの場合は、ランダム要素は少ないので、一見サイコロがないように見えますが、「フラグ」というものを用意していたりします。
フラグとは、何かの条件が成立した時に立つ旗の事です。
線路の分岐が切り替わるようなイメージで問題ありません。
アドベンチャーゲームは、いわば、サイコロをふる前に「ゴリゴリ」にサイコロを改造するタイプのゲームです。
「容疑者A」から「証拠品Z」の情報を手に入れていたら結果が変わる。そういう処理を入れています。こちらは、セリフの選択肢が増えるタイプのサイコロです。
「フラグ」を使ってハラハラドキドキさせるすごろくと考えてもらえればイメージしやすいかもしれません。僕は割とそういうゲームを多く作ってきたので自信のある分野です。(いつかお披露目できれば良いなと思っています。)
このように、全てのゲームは、何らかの「サイコロ」を使っています。
ゲームにおけるサイコロの役割
ゲームの世界と現実の世界は、両方とも「サイコロ」を、ふることで先に進むことができます。
選択した結果は、サイコロをふる前にある程度決まっている。
そういう所も、そっくりです。
「カイジ」という漫画の中でも、本物の勝負師は、100%勝てる勝負しかしないと表現されています。
人生もゲームも、勝負の行く末が「サイコロ」で決まるから楽しいと思います。
もし、どれだけ努力しようが準備しようが、1から6が出るサイコロしか使えないならば、努力する人は出てこなくなるかもしれません。
ただ、そんな状況でも「勝負師」であれば、100%に近づける努力をするのではないでしょうか?
人生もゲームも、100%に近づける努力が必要
人生もゲームも、どれだけ100%に近づけるかが勝負所です。
準備や努力さえすれば、限りなく100%に近づける事ができるからです。
どんなものであっても、必要なのは「再現性」です。
偶然成功を手にした場合、再現できないので、維持できずにすぐ転落してしまうでしょう。
一回だけの成功ではなく、持続可能な成功をおさめるには、サイコロを作る技術を高めなければいけません。
そのためには、サイコロをふる回数を増やす必要があります。
仮説と検証によってのみ「サイコロ」を育てる事ができるからです。
人にサイコロを委ねない。サイコロは率先してふっていく。
そうすれば、なりたい自分に近づける事もできます。
- 人生もゲームの世界もサイコロでできている。
- 結果は、サイコロで決まる。
- 100%を目指してサイコロを作り上げる事が重要。
まとめ サイコロをふらなければ、先には進めない
自分の人生をサイコロに委ねる。
そう聞くと、少し聞こえは悪いかもしれません。
しかし、サイコロをふらなければ、先に進めないという事を理解しておく必要があります。
ただ、先に進みたくないという人も、いると思います。
先に進んでも、そこに幸せがあるか分からない。
だったら、今ここで幸せを全うしておきたい。そう思う気持ちもわかります。
そんな時は、すごろくのスタート地点にコマを置いてみてください。
最初の「スタート」地点にいるコマは、フィールドのイベントを何も知りません。
全てのマスを知っていれば、人生の選択肢は大きく広がりますが、スタート地点しか知らないと、フィールド全体にトラブルイベントが起きた時に、対処の仕方が分からず混乱してしまうでしょう。
さまざまなマス目のイベントを知っていれば、ストレスも大きいかもしれませんが、確実に力が付きます。その力は、人生において選択肢を増やしてくれます。
守りたいものができた時に、それを守る力が必要です。
自分のサイコロを育てる。そういう考えを持っても良いのではないでしょうか。
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
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