新しいARデバイスが発表されたり、空飛ぶ車が実用化されて、未来が近づいてきましたね。ゲームの中だけの話が、仮想世界を飛び出し、ゲームクリエイターはより特別な体験を求められるようになってきています。
今日は、そんな時代に今思うことを記事にまとめました。
こんにちは!コンじゃぶろーです!
ゲームにおける没入感は、ただのスタート地点に過ぎません。私たちがゲームから求めるのは、ただ操作するだけの体験を超えた、まるで別の生命を得たかのような深い体験です。ファミリーコンピュータの時代から現在まで、数々のゲームがプレイヤーを冒険の旅に没入させてきました。今後は、VRやARグラスの普及にともなって、益々新しい世界がやってくるでしょう。この記事では、没入感がもたらす圧倒的なリアリズムと、それが如何にして私たちの世界を変えていくのかを掘り下げていきます。
私たちは、ゲームを通じて現実世界では不可能な体験に没入しています。ゲームが提供する異世界転生は、単なる娯楽を超え、私たちの意識や感覚を完全にゲームの世界に同化させています。この技術が進化するにつれて、現実と虚構の境界はますますあいまいになり、最終的には完全に消失するかもしれません。
しかし、人の欲望に際限はありません。未来のゲーム体験では、視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や味覚、触覚をも完璧に再現する形になっていくでしょう。五感すべてを駆使し、プレイヤーが完全に新しい存在として生まれ変わる体験を実現するのも遠い未来ではないでしょう。この壮大なビジョンに向けて、技術は日々進化を遂げ、新たな可能性を切り開いています。
本日の記事、重要なポイント
- 没入感の高いゲームは、無意識に体が動くくらい楽しい。
- 没入間を高めたその先にある、ゲームの未来。
はじめに:ゲームの未来と没入感の追求
ゲームの面白さを語る上で、「没入感」というキーワードがたくさん出るようになりました。これは、安価なVRデバイスの登場や、メタバース構想の影響でしょう。
ゲームを作る上でも、導入部分の没入感は、大切な要素です。ゲームとユーザーが出会う場所なので、丁寧に作る必要があるからです。
ゲームで遊ぶ時、ユーザーは電源をONにします。そこから会社ロゴが表示され、タイトルロゴが表示された時、ユーザーの意識は現実と仮想空間の間にいます。そして、タイトル画面から、スタートしたらゲームの世界へダイブして、楽しいゲームの世界へ没入します。
電源を入れてからゲームが開始するまでの「導入部分」を大切に作らないと、ユーザーはゲームを純粋に楽しむ事ができません。没入の度合いはデザインが可能で、ゲーム性と密接に関わっているからです。
没入感の高いゲームは、無意識に身体が動くくらい楽しい
アクションゲームをする時は、「没入感」が高いかどうかが分かりやすいです。
なぜなら、コントローラーを操作するのと同時に、体全体が大きく動くからです。テスターのプレイしている様子を見れば一目瞭然で、調整もしやすいでしょう。RPGやアドベンチャーゲーム等では、没入感の度合いは非常に分かりづらいです。しかし、テスターの脳波を計測しながら、没入具合を数値化して検証するゲーム会社も増えていきているようです。
不確実性の高かった没入感は、数値化されコントロールできるものへと変わっていくでしょう。
没入感をコントロールすることで、物語に深く没入させたり、あえて没入感を薄くする事で、「遠くから手出しできないもどかしさ」を伝えたり、主人公の切実な思いを追体験する事ができたりもします。
没入感の高いゲームは、VRデバイスが完成系?
「没入感」というと、VRの代名詞のように認識されたりします。
VRは、視覚と聴覚をハックできるので、比較的プレイヤーを没入されやすい機器です。しかし、制限が非常に多い点はあまり論じられていません。まずヘッドギアが触覚的に不快であるという事と、目隠し状態で動き回るのが危険だという事です。
もちろん、腰を固定し足の動きをそのままゲーム内に反映して、その場を動き回る事が可能なデバイスもあります。しかし、圧倒的な違和感になってしまう上、広いスペースの確保が必要なので課題が多いです。
また、動き回らなくても、キャラクターが「ジャンプ」する等激しいアクションをした時に、正常に立ってられる人は少ない為(大抵の人は嗚咽しながら、その場にへたり込みます。)、基本的にはその場に留まる(移動できずに位置固定された)ゲーム性になってしまいます。
逆に、それを逆手に取り、椅子に縛り上げられてゾンビに襲われるVRコンテンツもあります。(これは、ナイスアイデア!)ただ、全て椅子に縛り付けられるゲーム性ってちょっと無理があります。
夢を見ている間に、声を出したり落ちたような感覚になるのと同じ
VRデバイスがなくても、没入感を高める事は可能です。
人が夢を見る時、没入感は非常に高い状態になるからです。夢を見ている間に大声を出したり、手足を動かしたりする事があります。人間が本来持っている機能を使えば、今のVRデバイスよりも高い没入感を得る事が可能です。
しかも、視神経や三半規管等、誰もが持っている身体の構造を利用すれば、貧富の差も生まれづらいです。しかし、これはかなりSF色が強く、夢に干渉する機械の商品化ができていないので、僕が生きているうちには実現できない事かもしれません。
ただ、いつの日か必ず、人は夢をデザインできるようになるでしょう。その時、最高の没入感を実現したゲームも開発できるようになるはずです。夢を自由自在に操れるようになるなら、爆発的な需要を生む事でしょう。
さて、ハード面の需要はありそうですが、ソフト面の需要はどうでしょうか?
- 没入感の高いゲームは、VRがなくても実現されている
- 夢を見ている間に、声を出したり落ちたような感覚になるのと同じ
没入感を高めたその先にある、ゲームの未来
この世にゲームが誕生した時、没入感を高めようと思ってゲームを作ってきたクリエイターは、そこまで多くないかもしれません。楽しいものを表現しようと世界中のクリエイターが頑張った結果「没入感」に到達したような感覚があります。
ゲームは長い間テレビと共に「視覚」や「聴覚」主体で進化してきました。だから、行き着く先は、「現実と同じくらいリアルな世界」です。
しかし、僕はリアルな世界へ「没入感」を求める流れは、幻想ではないかと考えています。ちょうど、絵画の世界で写実主義が完成する直前に「写真」が誕生し「写実主義」が崩壊した時と似ている気がするのです。
そもそも、未来は没入感を求めているのか?
VRゲームの紹介では、「没入感」がアピールされていますが、人々は、本当に没入感を求めているのでしょうか?
僕は没入感を求めているわけではないと考えています。なぜなら、没入感は、あくまでもゲームを調整する際のパラメータの一つというか、表現の一つだからです。
こういう場合、コンテンツとして求められているモノをリサーチしてあげる必要があります。ユーザーが求めているモノは「没入感」ではなく「コンテンツ」です。これは、これまで人類が営んできた実績から出ている答えです。
新しい技術や機材や新しい表現法が研究されているのは、より良い暮らしやコンテンツを欲しているからです。
ライトノベル、漫画、アニメ、映画などで、異世界転生が流行っていたのも、「生まれ変わりたい」といった願望が強いからでしょう。生まれ変わることができるゲームとして価値を掘り下げていくことで、ゲームのコンテンツとしての価値を高めることが可能です。
没入感のその先にあるキーワードは、「生まれ変わり」
時代から求められているモノは、その時代を表しています。
異世界転生モノのコンテンツが異常に多い背景は、「生まれ変わりたい」と願う人が多すぎる事が原因だと思います。特に日本では、人々の孤立が進み「生まれ変わりたい」と考える人が非常に多いです。自殺者数が多いのもその現れだと思います。
一人暮らしの人が多い方が、国民一人当たりのGDPが上昇するのも理由のように思います。好景気に煽られ、国や企業がどんどん核家族化を進めた結果でしょう。
こういう時代の流れは、ゲームに限らず、映画やアニメ、漫画等にも大きな影響を与えます。ただ、何歳からでも人生をやり直せるような社会の方が、優しくていいなと思います。そして、できる事なら、誰もが、生きているうちに生まれ変われる世界になってほしいと願います。
世の中が求めている以上、これからも「生まれ変わり」系のコンテンツは増えていくでしょう。もし、夢をデザインするデバイスができたとしたら、何の違和感もなく没入できる「異世界転生モノ」のコンテンツが大ヒットする未来が来るはずです。
その時、生きているうちに生まれ変わるきっかけが出来るのか。あるいは、夢のデバイスを装着したまま起きてこない人が増えるでしょうか?
- そもそも、未来は没入感を求めているのか?
- 没入感のその先にあるキーワードは、「生まれ変わり」
まとめ 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、五感で遊ぶ未来
いずれ、ゲームは、五感をデザインする時代になるでしょう。
異世界転生モノのコンテンツでは、「嗅覚」や「味覚」に訴えかける表現が多いからです。いくら飲み食いしても健康を害さない世界ができたなら、それだけで非常に価値のあるものになります。ハード面とソフト面の両方で求められているのならば、この流れはきっと誰にも止められないでしょう。必ず人類はそれを実現する日がきます。
その時、一生夢から覚めずに寝続ける人が増えるのか、それとも夢のデバイスをきっかけに新しい人生をスタートする人が増えるのか。
僕は、ゲームクリエイターなので、ある意味没入感のスペシャリストになる事を求められるわけですが、後者であってほしいと願わざるを得ません。
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただけてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
コメント