なんだか最近、心に余裕がない…。
刺激が少なくて、ワクワクすることが少なくなってる…。
もし、これらの言葉に共感してしまったなら、こちらの記事を読んでみてください。
こんにちは!コンじゃぶろーです!
心に余裕がないと、何をしても生産性が上がりづらく、成果物の質も下がってしまいます。ゆとりがないと、改善しようという気が起きないので、常に片手を空けておくくらいの意識でいた方が良いです。
私も、朝から晩までゲームを作っていた時、全力投球で働いていたので、余裕がありませんでした。アルバイトをかけもちしていたこともあり、むしろ余裕があったら詰め込みながら生きていました。
これは、20年の経験から思うことですが、余裕を作っておかないと、生産性が下がってしまうんですよね。集中力も途切れやすく、ミスも多くなってしまいます。
私たちは日々、現実の枠に囚われ、余裕を持つことの大切さを忘れがちです。意識して余裕を取り込むマインドが重要になります。
今回提案するのは、ファンタジーを利用した心の余裕確保の方法です。私たちの脳は、ファンタジーの世界に足を踏み入れることで、余裕を作り出します。さらに、ファンタジーは、私たちの「アソビゴコロ」を刺激し、新たな可能性が生まれやすくなります。これは、単なる空想の話ではありません。科学的根拠に基づいた、創造力と想像力を育む秘密なのです。
ファンタジーの世界は、単に楽しむためだけのものではありません。それは、私たちの考え方、感じ方、そして世界を見る視点を変える力を持っています。この記事を通じて、ファンタジーの多様な解釈と、それがもたらす創造的なマインドセットについて一緒に考えていきましょう。さあ、日常から一歩踏み出し、創造力と想像力を育む冒険に出発しましょう。
本日の記事、重要なポイント
- ファンタジーの作り方
- ファンタジーから生まれる遊び(考え続けるマインド)
ファンタジーの魔法:創造性の源泉を探る
ファンタジーの世界は、驚異的な冒険や夢のような景色、独自の文化や魔法に溢れています。
その魅力は、読者を現実の世界から遠く離れた場所へと誘い、想像力を刺激する力を持っています。ファンタジーの作り方について学ぶことで、あなたもその魔法を創造し、他人と共有できるようになるでしょう。
この記事では、ファンタジーの定義とその目的を解説することで、自分だけの物語を創り上げるためのきっかけを提供します。
さぁ、共に、ファンタジーの世界を創造する旅に出かけましょう。
さて、
みなさんは、『ファンタジー』に関して、どんなモノだと考えていますか?
この世に無いモノ?とかかな?
そうですね、辞書で調べると、「空想」とか「幻想」といった意味になります。
ファンタジーの解釈は、色々ありそう。
100人いたら100解釈が生まれそうな部分なので、テーマを絞って解説したいと思います。
まずは、ファンタジーの定義と、その目的を理解し、ファンタジーを作る為のとっかかりを作っていきましょう。
人によって解釈が分かれる部分があるので、ファンタジーを作るのはちょっと難しそうですよね?
難しいと感じるのは、ファンタジーの定義を知らないからです。
◯◯であればファンタジーです。そういう定義が分かれば、誰でも生み出すことができます。
まずは、ファンタジーの定義について解説したいと思います。
ファンタジーの世界観:想像力の無限大な可能性
ファンタジーの定義に関しては、色々あると思います。一般的な解釈はこうです。
<一般的な解釈>
・ファンタジー:空想、幻想。現実世界を舞台にした「ロー・ファンタジー」や、架空世界を舞台にした「ハイ・ファンタジー」等がある
・SF(サイエンス・フィクション):科学的な根拠に基づいた空想
だいたいこれでイメージはつくと思います。
ただ、ちょっとボヤっとしてますよね?
空想であればファンタジーか?といわれると少し弱いです。
こういう定義がボヤっとした時は、「どうして?」を繰り返すとフォーカスがあってきます。
この20年間問い続けた結果、僕が考えるファンタジーの定義はこちらです。
<コンじゃぶろーの解釈>
ファンタジーとは、
相反する、2つのモノが同居している「空想」の「モノ」、「人物」、「環境」の世界
なんそれ?
日本語で話せよ
いきなり、分けわからない事言って、ごめんなさい
僕の持論に関して、3つのポイントに分けて、順番に解説していきます。
ファンタジーは、想像力をかきたてるエンタメです。こちらの3つのポイントを知る事で、よりファンタジーを楽しむ事ができるようになります。
- SF(サイエンスフィクション):科学的に、説明できる空想
- 相反する、2つのモノが同居している
- 仮想空間と、現実(読者)をつなぐ架け橋
SF(サイエンスフィクション):科学的に、説明できる空想
ファンタジーで、一番イメージしやすいのは、「SF」だと思います。
SFは、「科学的に説明できる」という事を無視できません。
いまいちピンとこない人は多いと思います。
SF小説、SF映画、SF漫画、SFアニメ、子供の頃に見てワクワクした記憶がある方はイメージしやすいかもしれません。
僕も、小学生の頃は、図書館にこもってSF小説を読み漁りました。
宇宙人とか、未来人とか、地底人とかに夢中になっていました。
あの頃の僕にとっては、現実と空想の境目がほとんどなかったように思います。
そんな僕が、ファンタジーに醒めた時がありました。
それは、ひどいSFアニメを見た時です。あまりにも現実的でない設定に「きょうざめ」してしまいました。
幕張メッセの会場みたいなバカでかい工場に、整備中のロボットが1体ぽつんとおかれているアニメでした。
なにこの・・・無駄に広くて整備しづらそうな整備工場。整備工場?イベント会場じゃない?
この工場には、誰も働いている気配がない・・・。
キョウザメ オブ キョウザメ。ひどくがっかりした記憶があります。まぁ、全体的にひどかったんですけどね。
そうなんです。ファンタジーって、「架空」の物語なんですけど、あきらかな「嘘」があったらダメなんです。
これ、ひょっとすると本当の事なのかも?って思えないといけないんです。
そういう意味で、「都市伝説」とか「7不思議」が面白い理由も説明できます。全部「本当にあるかも?」と思わせる「オチ」があるんです。
たとえ完全な嘘話であっても、オチを聴いて「もしかしたら・・・」と、本当にありそうに思えるから、面白いんです。
というわけで、ファンタジーには、科学的根拠に基づいた理由が必要なんです。
相反する、2つのモノが同居している
相反する2つのモノって何?
そういう声が聞こえてきます。
例えば、「光」と「闇」、「水」と「油」、「アクマ」と「天使」、「科学」と「魔法」、「仮想」と「現実」等々
対立する2つの要素が同居している状態が、ファンタジーです。
『光と闇の宿命を背負った魔戦士』の物語とか、ちょっとカッコよくないですか?
これは、「見る人」を、ファンタジーと融合させるテクニックです。
仮想空間と、現実(読者)をつなぐ架け橋
ファンタジーは、見ている人と仮想空間をつなぐ架け橋の役割があります。
見ている人は現実を生きているので、ファンタジー世界を楽しむためには、「現実」と「ファンタジー」を、融合した状態にしてあげる必要があります。
融合した状態にしてあげる理由は、ファンタジー世界に出てくる登場人物と、同じ境遇にする事で、見ている人がファンタジー世界に感情移入できるようになるからです。
ゲームの中で、ファンタジー世界を作ろうと思った時は、出てくるあらゆるモノに対立する要素を足してみて下さい。
「ダークエルフとホワイトエルフが協力して作った剣」とかね。
また、コンテンツとして質を上げる為には、「主人公サイド」に関するモノだけ「対立要素」を付与していくと、よりコントラストがでるというか、敵と味方の対立構造が明確になり、効果的な感情移入が可能になります。
アソビゴコロで刺激される思考:ファンタジーの力
ファンタジーの定義があれば、ある程度のファンタジーであれば、誰でも作れるようになります。
ただ、作るだけじゃなくて、その本質として「作者の伝えたい思い」がなければいけません。
その「伝えたい思い」をファンタジーにのせて物語にすることで、それに触れたユーザーの脳に「アソビゴコロ」が生まれ、ユーザーに楽しいと感じさせる事ができます。
ファンタジーは、現実には無い世界のお話です。
現実世界には、まだまだ科学では説明しきれない事が多いですが、科学が発達してかなり解明されるようになりました。
つい200~300年前まで、魔女がいると考えている人の方が多数派だった事を考えると、かなり解明されてきていると思います。(僕は、心のどこかでいると信じていますが。)
昔に比べて、ファンタジーに対する想像の予知が減ってきているかもしれません。
実際にこの世に無い架空のモノに恐怖する感覚は、人類が生き残るのに必要だったという話もあります。
そういった存在しないモノを、考え続ける、想像し続けるマインドが、「ファンタジー」を育んできたように思います。
結局、ファンタジーって必要なの?
「もしかしたら・・・」「ひょっとして・・・」を、ずーっと、考え続けてきた人類ですが、基本的には恐怖の対象でしかなかった「ファンタジー」は、恐ろしいモノから逃れようとするチカラだったように思います。
人類は分からないモノに対する恐怖を、科学を発達させて克服してきました。
ただし、科学が発達してくると、現実主義者が増えて「ファンタジーって必要なの?」と、考える人も出てくると思います。「こんなの、科学では説明できない!」みたいな。
しかし、ファンタジーがあったから、科学が発達してきたので、
もし、この世のあらゆる場所から、想像の予知がなくなってしまったとしたら。
もし、科学が発達し、あらゆる謎が解明されてしまったら、
人間は何も考えなくなるかもしれません。
そうならない為にも、人類にとってファンタジーは、なくてはならないものと言えます。
ファンタジーは、考える余地を楽しむエンタメ
僕は、人間は弱さゆえに、考え続けた生き物だと考えています。
同じ時代に生まれていたネアンデルタール人は、サイを肉弾戦で狩っていたそうですし、チンパンジーの握力は300kgです。
人類個体で見れば、他の霊長類の中で最弱なんですよね。
しかし、その最弱な種族が、世界で一番反映しているというのが、面白い部分です。
人類は、か弱い種族だったからこそ、知恵を絞って弱点を克服してきました。常に危険と隣り合わせだったはずなので、空想し続ける事によって成長してきた姿は、歴史を学べば知ることができます。
ただし、危険にさらされる事がなくなった現代に、ファンタジーを楽しむ心は薄れてきているかもしれません。
すくなくとも日本においては、貧困によって生活できないという人は少なく、衣食住が満たされた人が大半でしょう。ゆえに、安全な暮らしになり、成長する為のファンタジーの必要性は薄れていくかもしれません。
そうなると、誰も未来にワクワクしなくなってしまうように思います。
だから、どんなに科学が発達しても、自分の殻を破るような、ちょっと危機感に近い強烈な世界が必要ではないでしょうか?これまで感じていた恐怖心ではなく、想像力をかき立てるワクワクするファンタジーが人類には必要なんです。
ファンタジーは、人に考えるアソビを提供し続けてくれる。
ファンタジーは、「考えることが楽しい」を、人類に教え続けてくれる存在である。
僕は、そう信じています。
まとめ:ファンタジーの多様な解釈
非常に長い話になってしまいましたが、今日話せたのはファンタジーのごくごく一部の話です。
まだまだ、世の中にはファンタジーに対する解釈や、その必要性を説明できる人がたくさんいると思います。もし、意見があるという方は、この記事にコメントしてもらえると、嬉しいです。
たくさんの人と、ファンタジーに関して熱く語り合いたい。
以上、さしあたり、今思う事でした。
ここまで読んでいただけてありがとうございます。
皆様の良い人生の一助になれば。
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