「夢を仕事に変える」氷河期世代の壮絶な軌跡

「夢を仕事に変える」氷河期世代の壮絶な軌跡 さしあたり、いま思う事
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やりたいことが見つからない…。

夢を追いかけたいけど、勇気がない…。

そういう方は、こちらの記事をどうぞ。

コンじゃぶろー
コンじゃぶろー

こんにちは!コンじゃぶろーです!

これは、ただの物語ではありません。これは、氷河期世代の一人が、社会の厳しい現実と自身の理想との間で葛藤し、挑戦し続けた、20年に及ぶ旅の記録です。多くの人が「負け組」と決めつけられ、希望を失いかけていた時代。その中で、私は「やりたいことを仕事にする」という夢を追い続けました。

20代の頃、私は「好きなことを仕事にできれば、やる気は2倍になる」と信じていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。好きなことを追求する道は、想像以上に険しく、時には2倍のやる気が2倍の挫折をもたらすこともありました。夜な夜な、誰にも言えず涙を流したことも少なくありません。それでも、私は諦めませんでした。弱音を封印し、全力で対応し続けたのです。

30歳を迎えた時、私は重要なことに気づきました。「一人では全てはできない」ということです。その気づきは、私の価値観を大きく変えることとなりました。30代を通じて、私は「できることだけをやり続ける」という姿勢を貫きました。一つずつ、丁寧に仕事をすることで、徐々に信用を積み上げ、人生に余裕が生まれてきました。

そして40歳を迎えた今、私の前には新たな世界が開けました。感謝の心は、やがて学ぶ姿勢に変わり、新しいことに挑戦するマインドを育ててくれました。今、私は振り返ります。苦悩と挑戦の日々が、今の自分を作り上げたと。

この記事では、氷河期世代としてスタートした私が、どのようにして「やりたいことを仕事にする」という夢を叶えたのか、その軌跡をお伝えします。読んでいるあなたにも、夢に向かって一歩を踏み出す勇気を与えられたら幸いです。やりたいことをする時代は、まさに今。あなたの手で、新たな道を切り拓いてください。

本日の記事、重要なポイント

  • 「負け組」スタート 氷河期世代
  • 弱音を封印した20代
  • 一人では全てできないと諦めた30歳
  • できることだけをやり続けた30代
  • 40歳になって開けた世界

はじめに:夢を追い続けた20年間の旅

はじめに:夢を追い続けた20年間の旅
できることだけをやればいい。

できる事だけやって生きていけたなら、どんなに素晴らしいでしょうか。

やりたくない事をやらないと言えたら、どんなに気持ちが良いでしょうか。

これからの時代は、「できる事だけやればいい!」そういう社会になると信じています。

僕は、会社をやめて、それを証明する生き方を始めました。

家族を危険にさらすようなリスクをとってまでする事なのか?と言われれば、「それでけの価値はある」と答えます。

これは、僕が家族を守る為に始めた戦いだからです。

今日の記事は、まだ何者でもないこの僕の、世界へ向けた決意表明です。

できる事だけやればいい!

氷河期世代の挑戦:「負け組」からの出発点

氷河期世代の挑戦:「負け組」からの出発点
氷河期世代

バブルが崩壊した闇の世界で育った僕達氷河期世代。

氷河期世代とは、不景気で非常に就職しづらかった時代を揶揄する言葉です。

当事者である僕は、意外と気にせずのびのびと育ってきました。

誰もやりたくない事だからお金がもらえるとか、やりたくないのは甘え。そう教えられて育ったのが、僕達氷河期世代の子供達です。

負けを認めた瞬間

負けを認めた瞬間
負けを自覚した日

会社に勤めて、サラリーマンとして生きる道が全てだと言われ、そのうえでどこにも就職できなかった僕は、まずあの時点で負け組でした。

でも、その価値観が分からなくて困っていました。

学生上がりに、友達と一緒に起業した際も、「え?失敗したらどうするんですか?」と言われて。

どうして、失敗の事ばかり気にするんだろう?と不思議でしょうがなかったです。

脱サラ 起業 失敗談!脱サラゲームクリエイター コンじゃぶろーの自立への挑戦記(2021年-2022年)

失敗への世間の見方との格闘

失敗への世間の見方との格闘
え?失敗でなんですか?挑戦しない事ですか?

「失敗」って何ですか?

その当時の価値観は、僕の目から見て狂ったものばかりでした。

灘高や、東京大学に行かなかった時点でも負け組。

銀行に就職できなくて負け組。

医者になれなくて負け組。

世間が負け組認定に一生懸命になっていた頃、「本当にこの価値観正しいのかな?」なんて思っていました。

日本中で、恐ろしいくらいの閉塞感が立ち込めていましたが、僕はノー天気でした。

「できる事だけやればいい」おぼろげに考えながら、スタートラインに立ちました。

起業した当時は、うまく言葉にできていませんでしたが、小学校の僕が、未来の僕に向けて書いた手紙には、しっかり書いてありました。

「何をしているか分からないけれど、きっと楽しい事やってるんでしょうね」

色々と回り道して40歳、ようやく、見えてきた小学生時代の自分の背中。

失敗から学ぶ!自信を築くための価値ある教訓
  • 失敗を恐れず、できる事をやればいい。
  • 小学生の自分の目には、いつだって未来が見えている。

20代の壁:弱音を封じ、前へ進む力

20代の壁:弱音を封じ、前へ進む力
最高速度

周囲や世間の反対をおしきって飛び込んだゲーム業界は、予想以上に楽しい世界でした。

作ったゲームの感想が、掲示板等で書かれているのを見て、何度もガッツポーズしました。

一緒に作ったメンバーと、ガッツポーズしました。

「ほらみろ!やりたい事やる方が人生楽しい!」不景気な世間と違いギラギラしていました。

好きなことの真価:やる気と落胆の二面性

好きなことの真価:やる気と落胆の二面性
好きなことは全力でやろう!

好きな事をやっているので、やる気は2倍でした。

でも、中にはつらい事もあって、面白くないと言われたり、書かれたりした時、2倍凹みました

それでも、体力の続く限り、ゲームを作り続けていました

売れるゲームを作れるようになってくると、メンバーとの価値観のズレを感じるようになりました。

売れるモノを作る方法(基礎編)。競合に打ち勝つ最低基準。

涙にくれる夜、ひそかな戦い

涙にくれる夜、ひそかな戦い
人知れず流した涙もある。

起業した会社からは去り、サラリーマンとして生き始めたのもこの頃です。

取締役からサラリーマンになり、責任の範囲が少なくなったので心にも余裕が生まれ、不得意な事にも積極的に手を出すようになりました。

メンバーがやりたくないといった作業を、率先して自分でやるようになり始めたんです。

先端を走っていた為、誰も助ける事が出来なかったというのもありますが、圧倒的な腕力で仕事をねじふせようとしていました。

やりたい事をする為に、やりたくない事も全力でやり始めた20代。

世間は、かなり不景気で、同窓会に参加した同級生の8割は無職でした。

【2024年最新版】【業界分析・企業研究】ぶっちゃけ儲かる?ゲームクリエイターの年収事情。実績20年のゲームクリエイターから見た業界事情
  • 好きな仕事なら、やる気は2倍。辛い時も2倍凹む。
  • 就職氷河期は、好きな仕事で乗り越える。

30歳、限界を知る:協力の価値

30歳、限界を知る:協力の価値
一人じゃ無理

ゲームを100種類程作った頃。

あらゆるジャンルのゲームを開発して、自信はついていました。

しかし、日ごろの不摂生で身体も精神もギリギリまで追い詰めて、ゲーム開発にフルコミットしていた僕は限界に到達しました。

本当は、限界ではなかったけれど、気力が尽きてもう手が動かなくなっていました

「このまま、あと何年やれば楽になるのか?」の問いに対して「この先には墓場しかない」と、心の底から絶望し、先に進む事を辞める事を決めました。

その後は、開発からも離れて、誰でもできる簡単な社内の仕事にまわり、自分のふり返りに時間を使うようになりました。

「速くいきたいなら、一人でいけ」それを地でいくような生き方の末、僕のそばには、ほとんどの人がいなくなっていました。

その時に、はじめてそれまで支えてくれていた人へ感謝しました。

「やりたい事をやる」には、1人では無理だと感じた30歳。

組織の強化策!チームパワーを引き出すための戦略的思考

30代の成長:焦点を絞り、信頼を築く

30代の成長:焦点を絞り、信頼を築く
1つ1つ、できることをやる。

この頃は、かなり単純な仕事ばかりやっていました。

出来上がったアプリやツールをテストする仕事です。

誰でもできる作業。

一つ一つに心を込めて

一つ一つに心を込めて
丁寧な仕事を心がける

不具合が出ないかチェックして、不具合報告をする毎日。

開発の一線を退き仲間を一番後ろから支える立場です。

それでも、1つずつ意味のある事を探し、勉強して取り入れていくと、信用が貯まっていくようになりました。

ゲーム開発の未来。シェアリングエコノミーが可能性を切り開く。

信用の積み重ねがもたらす余裕

信用の積み重ねがもたらす余裕
積み上がる信用、生まれる余裕。

守備範囲が大きくなるにつれて、心にも余裕ができてきて、様々な案件を受けるようになります。

どれもやりたい仕事ではなかったですが、どんな仕事にも「やりたい事」を1つ織り交ぜていくようになっていました。

トリの目というか、やるべき目の前の案件を対応する事で、その先の未来を作るようになりました。

「無理をしない」と決めて、プライベートを充実させました。

結婚して、出産を経て、幸福度は高まっていきました。

「できる事を継続する」それによって、必ず少しずつ成長できる。成長を実感できる。

僕がみつけた再現性の高い幸せな生き方。

多様性の時代。才能が花開く社会を作る
  • 気力が尽きた30代
  • 気力が尽きても、できることだけやり続けると幸せは見つかる。

40歳、新たな世界への扉

40歳、新たな世界への扉
開かれた扉

ゲームを作るのをやめて、できる事だけやり続けて、心を充実させ安定させた頃。

子育ても落ち着いてきて40歳手前になっていました。

その頃から、僕の心の中にムクムクと沸き起こってきた感情があります。

「何か、新しい事がしたい」

「面白い事がやりたい」

学びと感謝の連鎖

学びと感謝の連鎖
学ぶ姿勢

休みの日を利用して、先進的な技術を調べたり、作ったりしはじめました。

AR・VR・MR、お金の勉強、動画編集、オンラインサロン。

学びにつながりそうな所には、すぐ出かけていき、人にある日々。

興味のある事は、なんでもやって経験するスタイル。

毎日15分の情報収集習慣で、最新のトレンドをキャッチする方法

何事にも挑戦する心

何事にも挑戦する心
なんでも手をだすマインド。

「これはできるな」とか「参加したい」と思った事は、なんでもやりました。

営業まわりもはじめました。積極的に人に会い、サラリーマンで出来る事をかたっぱしからやっていきました。

フリーターにできなくて、サラリーマンに出来る事をリストアップして、かたっぱしから試す日々の中で、知識がどんどんたまり、それに比例して膨らむ思い。

勉強すればする程、胸がぐるぐるしてたまらなくなり、退職する事にしました。

「やりたい事がしたい」という想いが強くなりすぎて飛び出したんですが、学生の頃とは比較にならないくらいの経験値と、30代で培った「できる事をする」マインドのおかげで、不安はありません。

素直な気持ちで、昔、おいてきた何かに向き合うことができるようになりました。

他社に先越された…、開発競争で遅れをとった時の対処法
  • 昔の宿題は、必ずやらなければいけない。

結論:「やりたいことをする時代」で生きる意味

結論:「やりたいことをする時代」で生きる意味
やりたい事をする時代になる

自分に対して、ちょっとくらい不安になれよ。

そう、思ったりします。

でも、ゆっくりと、今までの自分をふり返って、twitterやブログにアウトプットする中で、不安になる要素があまりなくて、困るくらいです。

今後、全ての人が不安なく「やりたい事をする時代になる」「できる事で生きていく」時代になると確信しています。

その時の為に、このブログはあります。

僕が始めた戦いを正解にする為に、僕は走りはじめました。

勝利までの過程をブログにまとめて、それを読んだ人が自信を持てたなら本望です。

まだ、何者でもない僕から、未来の子供達へ。

以上、さしあたり、今思う事でした。

ここまで読んでいただけてありがとうございます。

皆様の良い人生の一助になれば。

得意分野のばし放題!泣く子も黙る鬼継続の秘訣

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